あなたの手の「◯◯さん」

「なんでできないの!」と

自分を責めていませんか? 

手は自分の体についているから

自分の思い通りになるはず、

というのは実は大きな勘違い。

ピアノを弾くとき、

手は「一番身近な他人」になるんです。

1. 手には、手の「言い分」がある

こう弾くんだ!と理解しても、

手にはその人なりの「手の形」があり、

筋肉のつき方があり、

つい日常使っている使い方をしたくなります。

 それを無視して「デキが悪い」と怒るのは、

あまりにも自分が可哀想。 

歩くときは脚を交互に出せばいいけれど、

ピアノはもっと繊細。

パーツが小さくなればなるほど、

体との対話が必要なんです。

2. 「○○さん」と名前をつけるという、究極の客観視

レッスン中、

「手は他人と思ってよ。名前つけていいくらい。」と言ったら

翌週生徒さんが

自分の手に「金城さん」と名付けていました。

(誰やねん。因みに金城さんの多い地域では全くないので、本当に誰やねん。大門先生とか好きだからドラマから仕入れたかな・・・?)

 自分そのものだと思うから腹が立つ。

でも、そこに別の名前があれば、

「おっと金城さん、今日はちょっと指が重いみたいだね」

「金城さん、そこはまだ準備できてないよね」と、優しく歩み寄ることができる。 
私も、「金城さん、頑張れ!!」なんて横で言っちゃったり。

「自分を叱りつける言葉」が「対話」に変わる瞬間です。

3. 力任せは、対話の拒否

上手くいかないとき、

つい力任せに鍵盤を叩きつけてしまうことがあります。

でも、それは自分の体との対話を放棄した状態。 大切に、意図を持って動かしてあげる。その「大切にする」という感覚こそが、

良い音や上達への最短距離です。

結論:自分という楽器を、愛おしくメンテナンスする

ピアノを習うことは、自分の手、自分の体を

「一番身近な他人」として扱い、

大切にする練習でもあります。 

自分を酷使しがちな大人や頑張り屋さんの子どもにとって、

ピアノを弾く時間は単なる上達の時間ではなく、

自分を慈しむための「自分メンテナンス」の時間。 

自分の手と、仲良くしてみましょ。



 

人気の投稿